ニューヨーク版「セレブという生き方」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2017年11月9日公開の「気鋭の社会学者が見たニューヨークの最底辺とセレブの意外な共通点と超えられない壁」です(一部改変)。

shutterstock/AS Inc

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スディール・ヴェンカテッシュはインドで生まれ、カリフォルニアで育ち、シカゴ大学で社会学を学んでいた。文化人類学や社会学にはエスノグラフィーという分野があり、文明と接触した経験のない伝統的社会(かつては「未開社会」と呼ばれた)や、先進国のなかのマイノリティー集団などと長期間行動をともにし、フィールドワークによって独特の文化や行動様式の解明を目指す。スディールのやりたかったのは、このエスノグラフィーの手法を使って、「アメリカで貧しい黒人として生きていくのはどういう経験か」を調べることだった。

スディールはシカゴ大学の近くに、学生たちが「ぜったいに足を踏み入れてはならない」と指導されている団地があることを知る。そこで、社会学の調査票をもってその団地を訪ねることにした。

――ということではじまるのが『ヤバイ社会学』(望月衛訳/ 東洋経済新報社)で、日本でも話題になったから知っているひとも多いだろうが、そのさわりだけ紹介しよう。

アフリカ系アメリカ人と“ニガー”は別の集団

スディールが調査に赴いたのはシカゴでもっとも貧しく、失業率も生活保護率も犯罪発生率も高く、通りを歩くひとの姿はなく、建物より空き地のほうが多い地区の団地だった。

そんなところをよそ者がうろうろしていれば当然だが、スディールはたちまちギャングスター気取りの若者たちに取り囲まれ、銃やナイフで脅される。彼らはいま、メキシカンギャングと抗争中だったのだ。

窮地に陥ったところに、彼らのボスが現われる。JTと呼ばれるその男は、年齢はスディールと同じくらいかすこし上で、「キラリと光る金歯が何本か、耳には大きなダイヤモンドのイヤリング、奥のほうから空っぽの目がぼくをじっと見つめているけれど、こちらにはなにも読み取らせてくれない」。

JTはクリップボードにはさまれた質問票に興味をもち、「なんだ、それは?」と訊く。スディールは、「全国的に有名な貧困問題の専門家が指揮している調査で、若い黒人の生活を理解して、よりよい公共政策を立案するのが目的なんです」と説明する。このあとのやりとりはこんなふうにつづく。

「貧しい黒人であることについてどう感じていますか?」スディールが質問を読み上げる。「とても悪い、いくらか悪い、よくも悪くもない、いくらかよい、とてもよい」
「オレは黒人(Black)じゃねえよ」JTはニヤニヤしながらまわりを見回す。
「なるほど、それでは、貧しいアフリカ系アメリカ人(African American)であることについてどう感じていますか」
「オレはアフリカ系アメリカ人でもねえな。おれはニガー(Nigger)だ」
呆然とするスディールに向かって、「“ニガー”ってのはこういうところに住んでるやつらのことだ」とJTはいう。「“アフリカ系アメリカ人”ってのは郊外に住んでるやつらだな。アフリカ系アメリカ人はネクタイを締めて仕事に行く。ニガーは仕事なんかもらえない」

「ニガー」というのは黒人に対するあからさまな蔑称で、アメリカ社会では公にはぜったいに口にしてはならないとされている。PC(political correctness/政治的正しさ)にもっとも適した呼称はAfrican Americanだが、60年代の公民権運動の高揚のなかで「ブラック・パワー」や「ブラック・イズ・ビューティフル」が叫ばれるようになり、「ホワイト」と「ブラック」は社会的に認められる表現となった。だが黒人社会のなかで、African AmericanとNiggerが異なる集団として認識されているなどということは、それまでまったく知られていなかった。

そのあとJTは「こいつ見張っとけ」といってどこかに行くと、数時間たってビールと食料品店の袋をもって戻ってきた。仲間とスディールにビールが回され、だらだらと飲み会がつづいて朝になった頃、「来たところへ帰んな」とJTはいった。「街なかを歩くときはもっと用心しろ」

スディールがカバンとクリップボードを拾っていると、「ウロウロしてくだらない質問するのなんかやめな」と、JTは“正しい”社会学の調査方法を享受した(彼は大学で社会学を学んだことがあった)。「オレらみたいなやつらとつるんで、そいつらがなにをするとか、そういうのを知らないとダメだ。ああいう質問をしても誰も答えねえよ。街で暮らしてる若いやつらのことがちゃんとわからないとな」

こうしてスディールはシカゴの黒人ギャングと行動をともにすることになり、最後には1日だけだがリーダーを任されることになる。そのフィールドワーク体験を書いたのが“Gang Leader for a Day(1日だけのギャングリーダー)”で、それが人気経済学者スティーヴン・レヴィットの世界的ベストセラー『ヤバい経済学』(Freakonomics)に紹介されたことで広く知られるようになる。

『ヤバイ社会学』には、派手な暮らしをしているように見えてもギャングが実家に“パラサイト”しているのは稼ぎが少ないからだとか、売春婦たちはきわめて戦略的に価格や相手を決めているなど、興味深い知見がたくさん出てくる(未読の方はぜひ)。

こうして名前を売ったスディールは、コロンビア大学に職を得てニューヨークに移ることになる。そこでの新たなフィールドワークの成果をまとめたのが『社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた』(望月衛訳、東洋経済新報社)だ。原題は“Floating City”で、「たゆたう街」の意味になる。

ニューヨークの“アッパーグラウンド”に潜入する

スディールはニューヨークに拠点を移すとき、ハーレムに住むシャインというドラッグディーラーを紹介してもらう。

スディールが最初に気づいたのは、ニューヨークのアンダーグラウンドではシカゴのようにギャングが縄張りをめぐって抗争しているわけではないことだ。シャインはハーレムの黒人を相手に商売するのではなく、白人のビジネスマンにコカインの販路を拡大しようとしていた。

スディールが連れて行かれたのはヘルズキッチン(ミッドタウン)にあるアダルトビデオ店で、マンジュンという南インドからの移民がオーナーだった。ポルノショップやあやしげな飲み屋が集まるその一帯は赤線地帯で、スディールは店の手伝いをしながらヒスパニックの売春婦たちから聞き取り調査を行なう。

これがフィールドワークの核になるのだが、この本の面白さはじつはニューヨークのアンダーグラウンド事情ではない。スディールはちょっとした偶然から、“アッパーグラウンド”すなわち白人エリートのハイソサエティに潜入する機会を得たのだ。

ハーヴァード大学で行なわれるソサエティ・オブ・フェローズ(著名な作家や科学者たちの友愛会)のディナーでワイン選びを担当することになったスディールは、魚料理のときに赤ワインを出すなど、ワインについてなんの知識もなかった。そこで付け焼刃の勉強をしたのだが、「1982年物のシャトー・リー……」と、フランス語の単語をどう発音していいかわからず立ち往生してしまう。

そのとき、「リーオーネィだよ」と囁く若い女性がいた。それがアナリーズで、スディールを脇に引っぱっていくと、白ワインと赤ワインではグラスがちがうことを教え、「そんなに難しいもんじゃないよ。基本的なことをいくつか知っていればいいだけ」といって、急場しのぎのワインの基礎まで伝授してくれた。アナリーズは絵に描いたようなセレブ(良家の子女)だが、10代の大学生の頃、社会勉強だとして親にインドに送り込まれたことがあった。それで、インド人のスディールに興味をもったのだ。

アナリーズの交友関係は全員が上流階級の子女で、一族の資産を受け継ぐことになる者ばかりだった。その資産は信託(トラスト)に預けられており、彼らを「トラストファリアン」と呼ぶのだという。ジャマイカのレゲエミュージシャンたちはエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝をキリストの再来と崇める新興宗教ラスタを信仰し、自らを「ラスタファリアン」と名乗ったが、それと「トラスト」をかけたのだ。

アナリーズに連れられて上流階級のパーティーに顔を出すようになったスディールだが、そんな頃、奇妙な相談を受けることになる。アナリーズが、同居していた男に3万ドルを盗まれたのだという。

その恋人もトラストファリアンで、莫大な財産を相続することになっていた。アナリーズとは大学時代からのつき合いで、「お札をパンに挟んで分厚いサンドウィッチにしてバーテンダーに投げつけるわ、20ドル札の束をタクシーの窓から差し込むわ」という所業を繰り返していた。

そんな彼は自主映画のプロデュースに夢中で、若いスタッフとともにサンダンス映画祭を目指していた。だが信託基金から受け取る金額は決められており、それだけでは制作資金に足りない。そこで、アナリーズが自宅に置いていた現金を勝手に持ち出したのだという。

アナリーズが困っていたのは、それが友人たちから預かっていたお金だからだ。しかしなぜそんな大金を、しかも現金で自宅に置いておかなければならないのか。

スディールは嫌な予感がした。そしてその勘は当たった。

アナリーズは、金持ちの男とデートする女の子たちの面倒をみていた。彼女は、上流階級の子女を専門に扱う高級エスコートクラブのマネージャーだったのだ。

“お嬢さま”たちの素の会話

アナリーズが“ビジネス”をはじめたのはちょっとしたきっかけからだった。「社交界の花になって結婚してファッションと慈善活動の人生を送るなんてイヤだ」とニューヨークで一人暮らしを始めたのだが、そんな彼女のまわりには同じように享楽的な生活を送りたい上流階級の娘たちが集まってきた。彼女たちにとってもっとも手っ取り早くお金を稼ぐ方法がリッチな白人男性と“交際”することで、そんな友人が増えたことで、ごく自然にアナリーズがスケジュールを仕切るようになったのだ。

スディールの本でものすごく面白いのは、そんな“お嬢さま”たちの素の会話が活写されていることだ。彼はフィールドワークの専門家なのだから、彼女たちの言葉づかいをそのまま再現しているのだろう。

たとえば、一族の歴史を説明しようとすると独立戦争までさかのぼらなければならないというジョジョ。彼女自身も名門イェール大学を出ているが、「卒業してニューヨークに来て、9時5時の仕事をやってみた。ごめん、むり。神様(ジーザス)、生き地獄ってあのことだね。それでパパはあたしを勘当したの。おまえのためだ、だってさ」ということで、いまはアナリーズのところで月に1万ドル稼いでいる。

そんな超セレブの女性が自分の仕事をスディールに説明するところは、原文と望月衛氏の訳を合わせて紹介しよう。

「Are we fucked up? Probably. I take Vicodin, snort coke, get drunk off my ass. But who doesn’t? あたしらファックされまくり? まあそうだろうね。咳止めやってコークやって、ケツから吹き出すほど酒食らって。でもみんなそうでしょ?」

次は、アナリーズが女友だちのブリタニーと喧嘩する場面。ブリタニーは「めったに見ないぐらいきれいな若い女の子」で、アナリーズとは大学時代からのつき合いで、彼女の“ビジネス”の稼ぎ頭だった。

「あんたはあたしがやってること(売春)やんないでしょ」と、まずはブリタニーがアナリーズを批判する。それに続いて出た言葉は、やはり英日併記で紹介しよう。

「That’s the fucking problem, Analise. So unless you know how to make it out there, I’d try to be less fucking bossy. You’ve been a real fucking pain in the ass lately and I’m tired of it.それがファックみたいに問題なんだな。アナリーズ、あたしだったら出かけてってひと仕事やり遂げるってどんなもんか知らないなら、ファックみたいに威張りちらすのちょっとは控えようってするけどねぇ。あんた最近マジでファックみたいにイタいんだよ。あたしゃほとほと疲れたね」

これに対してアナリーズが、「You’re pissing people off.あんたあっちこっちで人の神経逆撫でしてるんだよ」と反撃する。「Showing up late, not showing up, showing up wasted out of your fucking mind. You can’t piss everyone off, Brittany, and just think it’s okay and nothing will happen. 遅れるわ出てこないわファックみたいにラリって出てくるわ。誰も彼もブチギレさせてどうしようっちゅーのブリタニー。そんなんで大丈夫なんて思ってるならもうどうにもならないよ」

繰り返すがこれは不良娘ではなく、「階級社会アメリカ」の頂点にいる超セレブのお嬢さまたちの会話なのだ。

「文化資本」の壁

いまやアメリカでは、セレブも不良と同じ話し方をするようになった。しかしスディールは、そこには明確な壁があるという。アナリーズやブリタニーがごく自然にもっていて、ヘルズキッチンの赤線街で春を売る女たちにないものは「文化資本」だ。

これはフランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱した概念で、金銭以外の、学歴や文化的素養といった「資本」のことをいう――というような難しい話をする必要はない。アナリーズのところではたらくイェール出身のジョジョがきわめて簡潔に説明してくれるからだ。

あるときジョジョは、レストランで男にふられて泣いている女の子を見かける。彼女がデートクラブから来たことがわかったジョジョは、「気持ちわかるよ」と慰める(このことからわかるように、ジョジョは気のいい女性だ)。するとデート嬢は、ジョジョに将来の相談をはじめた。以下はジョジョによるそのときの描写だ。

「1時間くらいそうしてて、彼女言うわけ。今のクラブもうやめたい、助けてくれる? って。ありえないから。なんで? その子、なんていうか、ガテン系の家の子でしょ。ジュリア・ロバーツがファックしたみたいな? バレエとか芸術とか、そういうのクソわからないでしょって。っていうか、誰かのチンポ舐めてリャいいなんてぜんぜん違うって。だいたいそんなことぜんぜんしなかったりすることもあるし。あんたと人前に出て恥ずかしくない、そういうんじゃないとだめなのよ」

その場に同席していた、やはり上流階級出身のエスコート嬢が説明をつづける。

「プエルトリコの子たちとか、シロいゴミ(ホワイト・トラッシュ)の連中とか。ほら、家じゃ2段ベッドで寝てました、みたいなヤリマン便女、いるでしょ。あたしらのお客はね、ホテルでウロウロしてお客を探すような女相手にして自分の格下げたりしないわけ」

ニューヨークには若くてきれいな女の子はいくらでもいる。超リッチな男たちが求めるのは、容姿は当然として、上流階級の集まる場所でごく自然に「名家の(ちょっとやんちゃな)令嬢」を演じられる女性なのだ。そしてこれを演技で学ぶのは無理で、それができるのはホンモノの名家の令嬢だけなのだ。

ちなみに日本でこれに近い“フィールドワーク”となると、慶応SFCから東京大学大学院で社会学を学び、大手新聞社に就職したあと、退職してデリヘル嬢になった体験を書いた鈴木涼美氏の『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論 』(幻冬舎文庫)だが、それによると日本にはここまではっきりとした「階級(クラス)」のちがいはないようだ。これは急速に世俗化した戦後日本で、そもそも上流階級(ハイソサエティ)の文化がなくなったからだろう。

なにもかも恵まれたニューヨークのセレブ女性たちの人生はどのようなものなのだろうか。

画廊をはじめるという夢が破れ、エスコートクラブの経営もうまくいかなくなったアナリーズは、スディールに悩みを打ち明けて「インドに行きたい」という。

「あたしらの部族には目的がない。目標はあるよ、でも目的はない。できることはっていうと、ただ続ける、それだけ」

それを聞いたスディールは、アナリーズの世界を「フワフワ思い描くグローバル・ロンパー・ルーム」と形容する。社会の底辺で呻吟するたくさんの女性たちを見てきたからだ。そこで思わずいってしまう。

「君の部族の問題はっていうと、君たちはみんな、この世は自分らのものだって思ってるよね。ルールは君たちが作る。変えたくなったらいつでも変えられる。ちょっと売春に手を出したり、インドに出かけていって茶色の小さい子たちに勉強を教えたり――で、それでなにがどうなろうと君らはどうにもならないよね」

でもアナリーズには、なにを批判されているのかうまく理解できない。

「ぼくが出会う人はほとんどみんな、これでどうなるかってものすごく考えてるよ。建物に勝手に棲みついてる人、ヤクの売人、ギャングのメンバー――あの人たちはみんな、将来どうなるか、必死に考えてる」

「でもあたしの友だちだってみんなそう」と、アナリーズはこたえる。「自分がどうしたらどうなるって、気になるのが人ってもんでしょ。根っこの部分で。だからインドに行くの。あたし、生まれ変わるんだ。あたしの家族はここにいる。でもあたしはしばらく家族の元を離れる。あたし、誰か違う人になるんだ。ずっとそうしたいと思ってた」

「たゆたう」という生き方

ニューヨークのアッパーグラウンドとアンダーグラウンドをフィールドワークしたスディールは、その成果を次のようにまとめている。

(a) どう考えてもニューヨークはシカゴじゃない。人の生活は固い絆で結ばれた界隈1つの中で展開する、なんて昔ながらの社会学の考えには、もうさよならすべきだ。
(b) 新しい世界では、文化がすべてを支配する。どんな振る舞いをするか、どんな服を着るか、どんな考え方をするかが、成功のカギの一部になる。
(c) 境界を乗り越えていく力が不可欠である。ニューヨークでは、複数の世界がいやおうなしに覆いかぶさってくる。ポルノショップの店員だろうが、ヤクの売人だろうが、社会の境界を軽やかに越えていけるようにならないといけない。
(d) 貧しい人たちも、あなたやぼくと違わない。違うときもあるってだけだ。

スディールによれば、グローバル都市で成功のカギは、その場その場でできた社会的な結びつきを使ったり捨てたりする能力にある。役に立つときには利用し、役に立たなくなったら四の五の言わずにさっさと切り捨てるのだ。

「成功するためには決まった界隈や階級や自分のあり方に安住する居心地の良さは捨てないといけない。そういうのを利用しようというときでも、距離を置かないといけない。自分の罪を許し、失敗したらあきらめ、新しい自分を創り、明日を向いて生きるのだ」

これが“Floating”すなわち「たゆたう」という生き方だ。境界をかろやかに超え、常に生き延びるのにもっとも有利な場所に移動しつづけること。これができなくなると、いずれは社会の最底辺に堕ちて消えていくことになる。

「グローバルな都市は、キャンヴァスよろしく場を提供する。でもそこから先はそれぞれが自分の手で創っていく」のだ。そしてスディールが見つけたこの原則は、おそらくグローバル都市・東京にもあてはまるだろう。

禁・無断転載

グローバル資本主義に抵抗するアートも資本主義化していく

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年5月10日公開の「ニューヨークで生まれた「武器としての文化」が
やがて権力に取り込まれディストピアになるまで」です(一部改変)。

GSPhotography/Shutterstock

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今回は、ネイトー・トンプソンの『文化戦争 やわらかいプロパガンダがあなたを支配する』(大沢章子訳/ ‎ 春秋社)を紹介したい。

本書の原題は“Culture as Weapon The Art of Influence in Everyday Life”で、『武器しての文化 日常に潜む影響力のアート』になる。著者のトンプソンは、「ニューヨークでもっとも刺激的かつ著名な芸術家集団「クリエイティブ・タイム」のチーフ・キュレーター」で、現代アートの最先端にいるひとだ。本書の面白さは、そんなトンプソンが現場の視点から、反権力のはずのアートが権力(政治や資本主義)に奉仕する現状をシニカルに分析していることにある。

レーガンの「文化戦争」

アートの世界における「文化戦争」はNEA(全米芸術基金)への攻撃として表われた
日本語のタイトルに使われた「文化戦争Culture Wars」は、1981年のロナルド・レーガン大統領就任以降、とりわけ80年代後半に本格化した「文化」をめぐる右派と左派の衝突のことだ。これについては、トッド・ギトリン『アメリカの文化戦争 たそがれゆく共通の夢』( 疋田三良、向井俊二訳/彩流社)が詳しい。

ギトリンは1943年生まれで、ハーヴァード・カレッジ在学中から反核運動に参加し、1962年2月にワシントンで行なわれた大規模な反核集会を主催した。63年と64年には日本の全共闘にあたるSDS(Students for a Democratic Society/民主社会学生同盟)の委員長(President)に就任、ベトナム戦争に反対する1965年4月の大集会(2万5000人が参加)を組織するなどNew Left(新左翼)の代表的な活動家となった。

その後はカリフォルニア大学バークレー校で社会学の学位を取得し、母校で長く社会学を講じた。骨の髄まで“サヨク”だったギトリンは、1995年に出版した『アメリカの文化戦争』(原題は“The Twilight of Common Dreams: Why America is Wracked by Culture Wars”『たそがれゆく共通の夢 アメリカはなぜ文化戦争で難破したか』)で、60年代に自分たちが思い描いた「共通の夢」が失われ、保守派との文化戦争に敗れつつある現状を諦念ととともに描いた。

文化戦争は「政治的な正しさPolitically Correctness」をめぐる価値観の衝突で、人種、性別、宗教などあらゆる差別・偏見を偏執狂的に糾弾する左派(リベラル)に対して、自分たちの文化(古きよきアメリカ)を否定されたと感じた右派(保守派)がレーガンを押し立てて反撃に転じたものだ。いうまでもなく、このときの共和党(保守)と民主党(リベラル)の対立が現在に至る「アメリカの(政治的)分裂」につながっている。

トンプソンによると、アートの世界における「文化戦争」はNEA(全米芸術基金)への攻撃として表われた。NEAは芸術活動を財政的に支援する連邦政府機関だが、助成対象となった現代芸術のなかには保守派を激怒させるものがあった。

ニューヨーク生まれの写真家アンドレス・セラーノは作品「ピス・クライスト」で、尿を満たした容器にキリストの十字架像を沈めた。シカゴ美術館に展示された24歳の美大生による「星条旗の適切な掲げ方は?」と題するアートは、燃やされている星条旗と、棺に掛けられた星条旗の写真を合成した作品の足元に、ほんものの星条旗が敷かれた。作品の下にノートが置かれているのだが、問い(星条旗の適切な掲げ方は?)の答えや作品への批判を書き込もうとすると星条旗を踏みつけなくてはならないのだ。

さらなる議論(というか憤激)を招いたのは、ワシントンDCのコーコラン美術館で行なわれたロバート・メイプルソープの回顧展だった。1989年にエイズで死去したゲイの写真家は、尻の部分がないチャップス(カウボーイの革パンツ)姿で自分の尻の穴にムチを突き刺し、それをつかんで振り返っていたのだ。

カロライナ選出の上院議員ジェシー・ヘルムズは、保守的なひとたちを激怒させるこうしたアートを煽情的に取り上げることで、「猥褻または下品な物品、あるいは特定の宗教を侮辱する物品の製造、販売促進、宣伝のために予算を使うことを禁止する」法律を議会に提出した。

「我々の神を冒涜する作品に(NEAを通じて)公金が投じられている」という保守派の攻撃はきわめて効果的で、美術館やキュレーターなどアート関係者は窮地に追い込まれた。――日本においても、中国人映画監督リ・インのドキュメンタリー『靖国 YASUKUNI』(2008年)に文化庁所管の独立行政法人・日本芸術文化振興会から助成金(750万円)が出ているとして政治問題化した。

だがアートが“武器”として使われるのは、保守派の標的としてだけではなかった。

都市をブランド化する競争

「女は結婚したら家で子育てする」性役割分業が当然とされていた1929年、ニューヨークで行なわれた復活祭のパレードで、(当時としては)肌も露わな女性たちが堂々とラッキーストライクに火をつけた。女性が人前で煙草を吸うことが社会的なタブーだった時代に、それに対する真っ向からの挑戦だった。

「自由の松明キャンペーン」と呼ばれたこの出来事はメディアでも大きく報じられ、「女性たちが煙草をふかして『自由』への意思表示」の見出しが『ニューヨーク・タイムズ』を飾り、『ユナイテッド・プレス』は「彼女たちの一服が、女性の自由を求める一撃となった」と書いた。

ところが、女性の権利獲得への大きな一歩とみなされたこのパフォーマンスは、ラッキーストライクを販売するアメリカンタバコの“やらせ”だった。女性たちに出演料を払ったのは“広報(PR)の父”エドワード・バーネイズで、喫煙する女性をメディアに大々的に取り上げさせることで、タバコの消費者を男性から女性に拡大しようとしたのだ。

アートは権力や消費主義に反抗しつつも、広告として企業の利益に貢献し、国家プロパガンダの有効な手法として大衆を動員してきた。ナチスを例にあげるまでもなくこのことはよく知られているが、トンプソンの指摘で興味深いのは、2000年代以降、「文化=芸術」が都市開発の中心に踊り出たことだ。“グル(導師)”となったのは都市社会学者リチャード・フロリダで、2002年の『クリエイティブ資本論 新たな経済階級の台頭』(井口典夫訳/ ダイヤモンド社)で「クリエイティブ・クラスが集まる魅力的な都市が発展する」と説いた。

クリエイティブ・クラスはグローバル化にともなって登場した新興の富裕層(ニューリッチ)で、知的労働者からアーティストやデザイナー、コンピュータプログラマー、エンジニア、科学者など“クリエイティブ”な仕事に従事するひとたちの総称だ。『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、デイビッド・ブルックスは、そんな彼らを「BOBOs」と名づけた。ブルジョアBourgeoisとボヘミアンBohemiansを合わせた造語で、「ボヘミアン的な生活を好むブルジョア」のことだ(『アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方』 セビル楓 訳/光文社)。

フロリダは、シリコンバレーやサンフランシスコを筆頭に、ボールダー(コロラド)、オースティン(テキサス)、ポートランド(オレゴン)からニューヨークまで、急成長する都市には際立った特徴があることを発見した。それは人種的な多様性があり、同性愛者などマイノリティに寛容で、一流大学とスターバックスがあり、そしてなによりも芸術・音楽活動が活発なことだ。クリエイティブ・クラスはこうした刺激的な都市に集まってくるのだ。――フロリダはこれを、「ヒップスター(新しがり屋)を惹きつければGoogleがついてくる」と表現した。

こうして全米で、さらには世界じゅうで(ベルリンのクロイツベルク地区など)「都市をブランド化する」競争が始まった。「ボヘミアン的なブルジョア」を惹きつけるには、美術館や音楽ホールだけでなくモダンアートのギャラリーやライブハウス、大規模な音楽フェスティバルや芸術イベントがなくてはならない。「神を冒涜する」との理由で表現の自由を否定していては、BOBOsは出て行ってしまう。アートこそが、熾烈な都市間競争を生き延びるキーワードになったのだ。

この大きな変化を、トンプソンはこう総括している。

新たな経済階級と経済的な勢力としてのクリエイティビティの台頭こそが、新たな産業やビジネスの出現から、生き方や働き方の変化、さらには日常生活を構成しているリズムやパターン、欲求や期待の変化にいたるまでの、私たちがこれまで目の当たりにしてきた一見何の関係もない偶発的に見える時代の風潮の数々を推進する、根本的要因だった。

アートによってアーティストを追い出す

1980年代からの「文化戦争」によってリベラルは敗退し、アメリカはより保守化・右傾化しているといわれる。トランプ大統領が象徴するようにこれは間違ってはいないが、しかしその一方で、クリエイティブ・クラス(BOBOs)を獲得しようと都市はますます「アート化」し「リベラル化」している。資本主義・商業主義が右傾化を押しとどめているのだ。

しかしこれは、「アートの時代が訪れた」と単純に喜べる話でもない。アートによって成功した都市が、その成功故にアーティストを追い出してしまうのだ。この現象は「ジェントリフィケーション」として知られている。

典型的なのはニューヨーク・マンハッタンのSoHo(ソーホー)で、1950年代には倉庫や零細工場が集まる荒廃した地区だったが、賃料の安さに惹きつけられて若い芸術家やデザイナーたちが集まり、そんな彼らを目当てにレストランやギャラリー、ライブハウスができて、1980年代には「芸術の街」として有名になった。するとボヘミアンな雰囲気に憧れたヤッピーと呼ばれる新興富裕層が移住してくるようになり、地価が大きく上昇し、貧しい芸術家たちは家賃が払えなくなって街を追い出されることになったのだ。こうして現在のSoHoは、若いエグゼクティブたちが集まるアメリカで(というか世界で)もっとも高級な地区のひとつになった(都市開発としては大成功といえるだろう)。

『文化戦争』では、現代のジェントリフィケーションの典型としてテキサス州オースティンが挙げられている。テキサスは保守的な州だが、オースティンにはテキサス大学の本部キャンパスがあり、選挙では民主党候補が勝つリベラルな都市として知られている。

そんなオースティンはアメリカでももっとも成功した都市のひとつで、ミュージシャンやアーティスト、ハイテク企業の天国として注目を浴びただけでなく、「サウス・バイ・サウスウェスト」を世界最大のフェスティバルに育てあげた。

2000年代になると都市開発はさらに加速し、オースティン地区の住宅価格は2倍以上に高騰した。地元のDJレッド・ワゼニックは、経済発展によって街の魅力が失われつつあることに危機感を覚え、「Keep Austin Weird(オースティンはおかしな街であり続けよう)」というスローガンをつくった。過度な商業主義を押しとどめ、アーティストたちの活動の場を守ろうとしたのだが、皮肉なことにこのスローガンは、都市のさらなるブランド化を進めるために使われることになった。

「Keep Austin Weird」を考案したワゼニックは法廷闘争に負けてしまい、アウトハウスデザインズと称する企業が著作権を所有することになった。そしていま、このスローガンは観光客用のTシャツやバンパーステッカー、キーホルダーなどに使われ、オースティンじゅうに氾濫しているのだ。

富裕層の「慈善植民地主義」

アメリカで経済格差が拡大していることは間違いないが、しかしその一方で、2013年のアメリカの慈善目的の寄付額は総額3351億7000万ドルで、その後も着実に増加している。慈善のすべてが貧困層を支援するものではないとしても、寄付の額が爆発的に増えているのと同時に貧富の格差が拡大しているのだ。

2013年7月、ウォーレン・バフェットの息子ピーター・バフェットが『ニューヨーク・タイムズ』で「慈善・産業複合体」を批判した。

一握りの者たちのために莫大な富を生み出すシステムによって、より多くの人々やコミュニティが損害を被っている今、『社会に還元する』という言葉がより英雄的な響きをもつようになった。これはいわば『良心ロンダリング』とでも呼ぶべきもので――人一人が生きるのに十分だと思われる額以上の富を貯めこんでいる後ろめたさを、ほんの少しの慈善という名目でばらまくことによってごまかしている。

自らも慈善活動にかかわるピーター・バフェットは、富裕層の「慈善植民地主義」を指摘してもいる。「農耕法であれ、教育実践であれ、職業訓練であれ、新規事業開発であれ、ある状況で成功した方法をその土地の文化や地形、あるいは社会規範などおかまいなしにそのまま移植しようとする」ことで、慈善が富裕層の自己PRである以上、よいことをしたらすぐに結果を出さなければならないのだ。

企業が慈善事業を戦略的に行なうのがCRM(コーズ・リレーテッド・マーケティング)で、「商品やサービスを消費者に提供する際に、社会的な大義(Cause)に結び付くような仕掛けを取り入れるマーケティング手法」のことだ。

2004年の調査では、消費者の91%が「社会貢献活動を支援する企業や製品にはよりよいイメージを抱く」とこたえ、90%が「社会貢献に協力しているとわかればその会社に鞍替えすることを考えている」としている。

トンプソンが挙げるCRMの例は食品会社キャンベルで、毎年10月の乳がん撲滅月間に合わせて赤・白・黒の特徴的なスープ缶をピンクにし、利益の一部を乳がんとのたたかいに寄付すると発表した。これによって売上は2倍になったが、決算が発表されると、現実に寄付されたのは1缶あたりたったの3.5セントだった。

「マス・マーケティングと大規模な社会貢献事業の時代においては、社会貢献と、社会貢献をうたって利益を得ることにはほとんど差はない」のだ。

商業主義に取り込まれた反資本主義運動

現代アートの世界では、1990年代の「リレーショナル・アート(関係性の芸術)」や2000年代のソーシャル・プラクティス(社会的実践)、パーティシパトリー・アート(参加型アート)など新しい試みが急速に広まった。これは1960年代の「ハプニング」の発展形で、「商業化する社会」への抵抗運動だった。――唐突に始まり、一瞬で終わってしまう「ハプニング」は商業化を拒否しているのだ。

しかしその後、こうした手法を企業が取り込むようになる。家具メーカーIKEAの巨大な倉庫型店舗や、都市のクリエイティブ・クラスに社交の場を提供するスターバックス、商品を売るのではなくジーニアスによる「最高のサービス」を体験させるアップルストアなどがその典型で、こうした「経験経済」は参加型の前衛芸術の転用だとトンプソンはいう。

しかしより興味深いのはポリティカルアート(社会の現状を批判的に表現する、あるいは社会改善を目的とする芸術作品)で、1990年代後半にはインターネットベースの市民的不服従運動に結実した。

ハッキングプログラムを公開し、メキシコ南部の先住民の抵抗運動(サパティスタ民族解放軍)を支援するアーティスト/活動家集団エレクトリック・ディスターバンス・シアターは、自分たちの哲学をこう説明した。

コミュニケーションの作り手であるアーティストが結集して、次世代のコミュニケーションネットワークを操る電磁パルス攻撃をつくりあげることによって、より大きな集団が、戦略的パフォーマンスを今以上に増やすことを可能にする。それが、非暴力的な情報戦争が目指すゴールだ。

こうした活動の頂点が、1999年にシアトルで行なわれたWTO(世界貿易機関)総会への大規模な抗議行動だった。

警官隊が集会に向けて催涙ガス弾を撃ち込んだとき、抗議者たちはそれを映像で撮影しながら「世界中が見ているぞ」と叫んだ。この攻防はマスメディアだけでなくインターネットで拡散し、「グローバル資本主義」への抗議活動が世界に広がっていった。これが「アラブの春」を経て、「ウォール街を占拠せよ」の運動へとつながっていく。――新自由主義的なグローバリゼーションではなく、弱者を擁護する、社会正義に見合ったグローバリゼーションを目指すことを「アンテルモンディアリズム(もうひとつの世界主義)運動」という。

左派の活動家が行なったこうしたパフォーマンスは「暴力ポルノ」と呼ばれている。「ウォール街を占拠せよ」が典型だが、丸腰の若者をぶちのめす警官やブルックリン橋上空を旋回するヘリコプターの動画をYouTubeにアップし、視覚に強く訴える身体的抵抗運動によって「グローバル資本主義崩壊」のイメージをひとびとの心に刻みつけようとするのだ。

だがSNSなどの新たなテクノロジーを使った左派の抵抗運動は、その後、右派やカルトに取り込まれていく。IS(イスラム国)はインターネットの動画やSNSを効果的にPRに使ってヨーロッパや中東の若者たちを勧誘し、アメリカの大統領選挙ではフェイスブックに大量のフェイクニュースが流された。しかしいちばんの皮肉は、TPPなど自由貿易を批判する「アンチ・グローバリズム」の主張をそのままトランプが使い、大統領に当選してしまったことだろう。これによって左派のグローバリズム批判は思考停止に陥り、運動の主体は右派にかんぜんに乗っ取られてしまった。

こうした事態は日本もまったく同じで、インターネットには歴史修正主義の奇怪な陰謀論が蔓延し、「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ異様なデモの動画がアップされ、ネットニュースのコメント欄はネトウヨの“愛国”コメントで埋め尽くされている。だがこうした手法は、もともとは左派が「体制=権力とたたかう」ために編み出したものなのだ。

このように考えると、トンプソンがこの本のタイトルを「武器としての文化」とした理由がわかる。「武器」は最初、前衛的なアーティストの手に握られていたが、たちまち利益を生む手段として資本主義(商業主義)に回収され、あるいはポピュリズム(大衆動員)の手法として権力者に利用されていった。それに対抗してさらに斬新なアートを生み出しても、やはり同じことが起こった。それでも世界は右傾化しないのは、商業主義がそれに対抗しているからなのだ。

現代アートはずっと、芸術(アート)を日常と一体化させることを目指してきたとトンプンはいう。そしてまさに、私たちは異形のアートがあふれるユートピア、あるいはディストピアを生きているのだ。

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「日本人はできない」という自虐史観から決別しよう 週刊プレイボーイ連載(598)

同性婚を認めないのは憲法に反するとした訴訟で、札幌高裁が違憲の判断をしました。

憲法24条では婚姻について、「両性の合意のみに基づいて成立する」としていますが、判決では、目的も踏まえて解釈すれば「人と人との自由な結びつきとしての婚姻を定めている」として、同性間の婚姻も異性間と同じ程度に保障されるとしました。

「法の下の平等」を定めた憲法14条についても、異性間の婚姻は認めているのに同性間には許さないのは「性的指向を理由とした合理性を欠く差別的取り扱い」だと述べています。同じ日に行なわれた東京地裁の6件目の裁判でも、現行制度は「違憲状態」と判断されており、最高裁もこうした判断を覆すのは難しいでしょう。

夫婦別姓については、最高裁はいまも現行制度が合憲であるとの判断を維持していますが、2021年には裁判官15人のうち4人が「不当な国家介入」などで違憲と判断し、徐々に外堀が埋まってきています。また労働者の待遇格差についても、「同一労働同一賃金」の原則が徹底され、合理的な理由がなく、たんに「非正規だから」「契約社員だから」などの理由で手当や有給休暇を提供しないのは違法とされました。

日本社会の価値観も世界と同じくリベラル化しており、世論調査では国民の過半数が同性婚や夫婦別姓を支持していて、とりわけ若者層では8割に達しています。「自分らしく生きる」ことが至上の価値とされる社会では、ジェンダーや性的指向を理由に個人のアイデンティティを否定することはものすごく嫌われるのです。

日本は近代のふりをした身分制社会なので、いたるところに先輩/後輩の序列と、正規/非正規のような「身分」が出てきて、敬語や謙譲語は目上/目下が決まらないと正しく使えません。しかしこれではどんどんグローバルな価値観から脱落し、「ネトウヨ国家」になってしまいます。

興味深いのは、政治家がリベラル化の潮流をほとんど理解していないのに対して、日本では司法が牽引して社会を変えつつあることです。これは法律家が、合理的に説明できないものを支持できないからでしょう。

同じ仕事をしているのに待遇が違うのはおかしいとの訴えに、「あなたの身分が低いから」とはさすがにいえないでしょう。保守派は同性婚を認めると社会が壊れるといいますが、これは同性婚を導入した多くの国で問題なく社会が運営されていることを説明できません。

日本では右派がこれまで、歴史教科書の「自虐史観」をきびしく批判してきました。しかしなぜか、「海外で行なわれていることが、日本人にはできない」という自虐的な主張をして同性婚や夫婦別姓に反対しています。

しかしこれは保守派だけでなく、ウーバーなどのライドシェアは世界中で使われているのに、なぜか日本では「犯罪が多発する」とされます。さらに世界では共同親権が主流になっているのに、リベラル派は日本で導入すると元夫によるDVの温床になると反対しています。日本人は犯罪者で、日本の男が暴力的というのは、控え目にいっても差別・偏見の類でしょう。

世界のひとたちがふつうにやっていることは、日本人だってできるでしょう。そういう常識に基づいて、合理的な社会をつくっていきたいものです。

参考:「婚姻の自由 同性婚も」朝日新聞2024年3月15日

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